「帰国子女、社長、月収100万円」から「ニート、家賃滞納、ガス停止、多重債務生活」を経験した私のプロフィール

さっそくですが、なっがいプロフィールを書きました。

ざっくりした経歴はこちらです。

1986年 長野県生まれ
小学生、女の子と会話もできず、虐められていたデブで根暗な少年時代。
高卒後、英語を身に着ける為に関西の大学へ入学。
18歳。初めての海外、フロリダで過ごした夢の1ヶ月。
20歳。憧れだったニューヨークで大学生活2年半。
23歳。経済的成功者を目指して証券会社に就職。
26歳。不動産購入、独立、起業、社長になる。
27歳。大きな転機、月収100万円から多重債務者への転落生活。
30歳。支えてくれた彼女との結婚、出産、そしてサラリーマン。
31歳。サラリーマンとして暮らしながら、幸せな生き方を追求。
32歳。不動産投資の可能性を追求しながら、ライター生活。 ←現在

振り返ってみると、波のある人生だなぁと自分でも思います。笑

30歳で再就職、サラリーマンとして働きながら、どうしたらお金に振り回されず、自分の望む人生を生きられるのか?

永遠のテーマを研究しながら、不動産投資の可能性に魅かれ新たな一歩を踏み出しています。

こんな好き勝手生きている自分を100%支えてくれた両親、またずっと傍で支えてくれてた妻、生まれてきてくれた息子に深く深く感謝すると共に、自分の人生を振り返っていこうと思います。

シャイでデブ、女の子にからかわれる典型的ないじめられっ子

人生いきなりハードモード。

最も辛い時期からスタートします。笑

小学生くらいの子供って残酷で、気を遣いません。遠慮をしません。

見て感じた事を、気を使う事もなく言葉として発します。

自分より弱いと判断したら、一方的な攻撃が始まります。

シャイでデブ、おまけに天然パーマという理想的な要素を持っていた私は、見た目、中身共に良いところ無し。

男の子と話す時は弱々しく皆の後ろをついていくだけ、女の子と話す時なんて、しどろもどろで何を言っているのか分かりません。

そんな私がからかわれる対象になるのは当然だったのかもしれませんね。

もう学校に行きたくない・・

もし、自分が息子に言われたら泣いてしまいそうな事を母親に言っていました。

小学生だった自分は、自分の意志で環境も変えられないですし。

家と学校という2つだけがコミュニティである以上、そこが苦しい環境になってしまうと本当に辛いです。

このまま、苦しい時間が永遠に続くのか・・そう思ってました。

自分から何か変えなければ!クラスで暴れて学級問題

私の両親は優しかったので、学校に行きたくないという私を叱ったり、怒鳴ったりされたりはありませんでした。

ただ、そこまで甘い両親でもなかったので、

「きちんと皆に自分の思いは伝えたの?」

と、母親に近所の公園近くを歩いている時に言われた記憶が鮮明に残っています。

とにかく、自分から行動を起こす以外に、現状は変えられない・・

そう残酷な事実を突き付けられたような気がしました。

思いをうまく伝えられないから困っているのに・・

クラスの誰も僕を助けてくれない・・

先生も両親も何で何もしてくれないの・・

そんな風に自分の周りを恨む日々が続きました。

ある日、いつも通りの日常の中で、私にとっての転機がおきます。

 

いつも通りの授業、

いつも通りの下校時間、

いつも通りの帰りの会、

いつも通りの虐められている自分。

 

ずっと我慢して、我慢して、我慢しきれなくなって、

 

自分の机を持ち上げ投げつけました。

むかつくクラスメイトをボコボコに殴りました。

そして倒れ込むようにその場に崩れ落ちました。

言葉で表現できない感情を表現する為に、幼い子供ながらできる限りの行動をしました。

その手段は褒められるようなやり方ではなかったかもしれませんが、自分の思いを伝えたいという目的を達成する為に、無我夢中でやってしまったんですね。

その後、楽しい下校時間は暗い暗いクラス会議の時間になりました。

結局、クラスメイト全員が私のいじめに大なり小なり加担していたということになり、クラスメイト全員から謝られて終わりました。

それから、驚くように自分の環境が変わりました。

普通に1日を過ごせる生活を勝ち取る事ができたのです。

当たり前の日常が、どんなに幸せな日常だった事か。

その後、小学校高学年の頃には、成長期に入ったのか身長が伸び、クラブ活動を通して体型も改善され、びくびくせずにクラスメイトと接するくらいにはなりました。

どんなに思いを巡らせても、何も行動しなければ自分も環境も変わらない。

そう強く心に刻み込まれた事件でした。

憧れた海外、アメリカ留学を夢見る少年

当たり前の日々が過ぎていく中で、次の転機が訪れます。

「あっ、アメリカの学校に行きたい」

こう思ったんですね。

社会の授業の一環で、日本という国についてのビデオを見る時間がありました。

定年退職、終身雇用制度など当時残っていた日本社会の良さを伝えるビデオでした。

私はそれを見て恐怖した記憶があります。

ある会社に入社したサラリーマンが、同じオフィスで、年齢を重ねていき、最後に花束をもらって退職するという数分間の映像を見て。

「えっ、日本って働き出すとずっと同じ部屋からでられないで一生を過ごすの?」

こう感じ取ってしまったんですね。

小学校のクラスという1つの空間で苦しい思いをずっとしていた私にとって、変化がない同じ環境だけで生きていくという事は、そのまま恐怖の対象だったんだと思います。

一方、日本と対比されるように見せられた海外のビデオは、色んな人が、色んな環境で暮らす、多種多様な価値観が混ざり合っているような内容でした。

「あっ、アメリカの学校に行きたい」

寝て起きたら忘れてしまいそうな小さな感情でしたが、決して消える事なく、小さいまま、しかし、確実に私の心に残っていました。

勉強、運動、遊び、全てを頑張ると決めた中学、高校時代

小学生の夢なんて淡い物で、具体的にアメリカの学校に行くにはどうしたらいいか?

そんな事は、何の見当もつかない事でした。

何となく、英語は勉強しなきゃな、きちんと進学や推薦が取れるように文武両道の方がいいな。

本当にこのくらいの思いでした。

でも、その小さな思いが、私を勉強させ、運動させ、色々な事を頑張らせてくれました。

結果として、私は楽しい中学、高校生活を過ごし、青春を謳歌できました。

どうしても諦めきれなかった海外への夢

高校生にもなってくると、無難に生きる術を身に着け始めてきます。

私は理系が得意でクラスも理系でした。

「このまま普通に理系の大学に進学をするのが現実的だよな~」

当時の私には、出会った事もない作者の心情を理解するなんて事はできません。

自転車に乗りながら、

・急ブレーキをかけて「俺の体に慣性の法則が働いている!」

・上り坂で止まりそうになって「摩擦力と重力がつり合ったぞ!」

こんな気持ち悪い事を一人で考えながら通学しているような感じでした。笑

両親や先生、同じ理系のクラスメイトも、やっぱり理系での進路や進学先を考えていて、私も同調するように、そのように考えていました。

ここで、もう一人の私が、私に言うんですね。

「そういえば、アメリカの学校にはいかなくていいの?」

と。

「そうだ!俺はアメリカの学校に行くんだ!」

はっと気付かされました。

両親や先生の期待や、同年代のクラスメイトの考えに逆行して、自分の思いを貫き、挑戦するというのは、非常にエネルギーが必要でした。

親に反抗した結果、行きたかったアメリカの学校への志願書を捨てられてしまったり、私の進学に期待していたクラスの担任には、あからさまにがっかりされてしまったり。

色々と苦しかったですが、最終的には海外留学に強い大学へ進学を決め、無事に合格できました。

今、振り返っても、この選択に後悔は1mmもありません。

自立したい!大阪での一人暮らし

とにかくアメリカを目指してた私は、自立したい!という思いが強かったのかもしれません。

地元の進学先は一切候補に入れず、大阪や東京など都会の大学のみを考えていましたからね。

今考えれば、自立したい!と言いながら、生活費は親が出してくれた訳ですから、全く自立してなかったのですが。笑

当時は実家をでて、都会で一人暮らしをする事が、1つのステータスであり、自立だと考えていました。

まだまだ余裕で子供だったんですよ。笑

とはいえ、大阪に引越してからは、とにかく楽しかったですね!

用もないのに夜な夜な自転車で、環状線沿いの駅をぐるぐるまわってみたり、心斎橋と難波の間を何往復もして、キャッチのお兄さんについて行き、着る事のないだろう奇抜な服を買ってみたり・・

京橋駅のグランシャトービルでブラブラして、「京橋は、ええとこだっせ。」が耳から離れなくなったり。

良く分かりませんが、毎日が楽しくて楽しくて仕方なかったですね!

苦手な英語と向き合った大学時代

夢の大学生活がスタート!

そして海外へ向けての第一歩という事で、私は夢と希望に満ち溢れていました!

しかし、そんな期待ほど現実は甘くありませんでした。

何となく大学に来ているクラスメイトの多い事・・

エスカレーター式や推薦で来てる学生も多かったので、数学ができないから来ちゃいました的な軽いノリの学生も多く。

「えっ、何しに大学に来たの?」

そりゃあ、私も遊びまくったり、恋愛したり、バイトしてみたりしたかったけど。。

英語を身に着けて、国際交流!海外留学!そう意気込んでいたのでショックでしたね。。

後、思った以上に関西弁(主に大阪弁と兵庫弁)から繰り出されるノリや、とりあえずオチを強要してくる感じが苦手で、入学して半年間は関西人(特に大阪、主に大阪、過半数が大阪)はストレスでしかなかったですね。

※半年後くらいから大阪弁も関西のノリも大好きになりました。笑

※今の私が話好きなのもこの時期があったからだと思いますね。大阪の皆様に感謝!

結局、自分から行動する事でより良い環境に身を置くことができました。

留学を目指してる前向きなクラスメイトや、海外から来ている留学生との交流。

長期休みにフロリダ留学1ヶ月。

受験戦争を越える勢いでTOEIC、TOEFLの勉強。

様々な努力を経て、目標にしていたアメリカの大学への編入という特待生枠をゲットする事ができました!

小学生からの夢が現実になった瞬間で、最高に歓喜に震えました!!!

ここは夢の世界?アメリカで過ごした2年半

関西空港からニューヨークへ。

19の「果てのない道」をipodで聞きながら、飛行機に乗り込みました。

アメリカでのキャンパスライフが始まると思うと、片道16時間、ワクワクとドキドキで眠れませんでした。

空港に降り立ったら感動しかなかったです。

英語しかない!! 当然

日本語聞こえない!! 当然

うわっ、何言ってるか全くわからない!! 困惑

生まれたての子供のように、目をキラキラさせて歩いていたに違いありません。

そこからの2年半は最高でした。

【イベント】

世界中の人たちと集まってBBQやホームパーティー! ※アメリカの家にはビールの樽があります。笑

日本の良さを広めるJAPAN NIGHTに参加して書道や空手を披露! ※アメリカに行って日本の空手道を始めるというまさかの逆輸入!

日本のアニメの良さを伝える為に、涼宮ハルヒの「ハレ晴レユカイ」を披露! ※とはいえ、私は応援する側でした。参加しておけばよかった!!泣

【学び】

図書館に泊まって朝まで勉強! ※アメリカでは図書館24時間!宿泊オッケーです!というか勉強しないと単位もらえません・・

ひたすら水泳!筋トレ! ※大学のプールで泳ぐ、ジムで筋トレ、食堂でタンパク質中心の食事してました

【遊び】

学生寮でビリヤード三昧! ※基本は勝ち抜き戦です。たくさん遊ぶために練習しました。

部屋の中でゲーム大会、飲み会! ※はっきり言って無法地帯w

人生初のクラブで踊って騒ぐ! ※黒人女性の激しいダンスにバリバリ振り回されていました。汗

【将来設計】

ボストンでキャリアフォーラムに参加! ※帰国子女ばりの流暢な英語を話す日本人ばかりで、競争の激しさを実感しました。

将来を日本で過ごすか、アメリカで過ごすか、はたまた他国か! ※選択肢が世界なので、友人たちも色々な考え持っていて、刺激になりました。

とにかく、非日常、非常識しかない日々!

私の人生観を刺激し、大きな学びのある2年半でした。

成功者を目指して飛び込んだ金融業界

ニューヨーク帰りの帰国子女という、リア充をアピールできそうな肩書をもって日本に帰国。笑

自分の人生における1つの大きな夢を達成した後に、

「次は社会人として成功するぞ!社会人の成功と言えばお金を稼げるビジネスマン・経営者だな!」

勝ち組になるにはお金持ち!

お金持ちになるならお金を扱う金融業!

相変わらず安直なイメージで就職先を金融業界に絞りました。

都市銀行、投資銀行、証券会社、保険会社と調べていった結果、東京都内の証券会社に就職を決めました。

サボる事と言い訳だけがうまくなる営業マン

入社1年目がトレードとか売買なんてできるはずもありません。笑

渡されたのはこの1冊!

今の若い方は見たことが無いかもしれませんが、固定電話が一覧で載っているタウンページです!

これを武器に、

・新規開拓!

・飛込営業!

・テレアポ!

これが証券会社の営業だと・・

完全に、私がイメージしていた営業マンと現実は違いました。

とにかく電話しては断られてを1日中繰り返す日々。

担当していた千葉県のタウンページは周回しました。

特に電話をかけていた浦安市、猫実市辺りのみなさん、もしかしたらお電話越しにお話していたかもしれませんね。笑

スマートにワンクリックで稼ぐ証券マンのイメージが崩れ落ちました。

泥臭い営業に嫌気がさしてきてからは、朝一から外回りに出かけて、

・カフェで休憩

・マンガ喫茶でパソコン

・家に帰って寝る

サボる頻度が増えてました。

無謀?それとも希望?勢いで不動産を購入して独立

会社の中で居心地が悪くなっていった私は、外に新しい何かを探し始めました。

週末や休みは交流会やセミナーを探して行きまくりました。

・名刺交換会や異業種交流会

・自己啓発系の塾や講演会

・サラリーマン向けの不動産投資セミナー

・ネットワークビジネスのコミュニティ

まだ二十歳そこそこだったので、若いというだけで注目される事もありました。

サラリーマンとは違った働き方、考え方をしている人たちと会う中で、メッチャ熱く生きている人や、幸せに生きている人ともご縁を頂けました。

そんな世界に触れながらも、会社で成果を出せていなかった私は会社で部署異動の話がでました。

「え~い、ここで辞めてしまえ!」

約2年半勤めた会社をアッサリと辞めてしまったんですね。笑

もう私には、サラリーマンを辞める事でした成功を手に入れられないと確信していました!

 

サラリーマンの旨みである融資を受けやすいというメリットは、退職前にしっかり活用しました。

この時に、不動産投資の1歩目として都内の区分マンションを購入したのですが、

これが後々になって、私の生活を下支えしてくれるとは、全く思ってもいなかったです。

24時間自由、月収100万円達成、人生イージーモードと有頂天

サラリーマンをしながら副業で活動していた私は、辞めたタイミングで生きていけるくらいの収入はありました。

金融商品の配当や、不動産投資での家賃収入もあり、不安だった以上に生活は安定していたんですね。

 

その後、調子に乗った私は、ただがむしゃらに儲かりそうな話は手を出してました。

勢いだけはある20代、タイミングと運の良さも噛み合って、成果はでていました。

最高で月収100万円を越え続けていた時期もあり、完全に有頂天になってましたね。

無収入、無貯金、多重債務者への転落

アクセル全開でブレーキを一切考えていなかった私に試練が訪れます。

・現金を投資していた投資先がどんどん消えていったり、

・信用していた人たちに裏切られて音信不通になったり、

・考えてもいなかった税金や借入の支払いが一気にきたり、

突然の、

”無収入” ”無貯金” ”多重債務者”

人生最高のピンチが到来しました。

返す為に稼ぐという不毛な日々・・

生活費はぎりぎりどころかマイナスで、家賃は滞納。

公共料金の支払いも滞った結果、待っていたのは・・

ガスが止まって真冬に冷水のシャワーを浴びる日々。

「こんな安心な国で、俺、死ぬのかも・・」

そう思いながらも、何とか生きなければという思いで働きました。

 

引越、アパレル、工場勤務、軽作業、派遣、日雇い

キャッチセールス、ワイファイ販売、ウォーターサーバー販売、お菓子販売

転売、ブログ、アフィリエイト、YouTube

セミナー講師、保険営業代行

 

できる事は、何でも手を出しましたが、負債を抱えながら、自分の感情も軸もブレブレな中での仕事は、結局どれもこれも中途半端で負債は減るどころか、増える一方でした。

「この生活がいつまで続くの?」

携帯の着信や、家に届く郵送物にビクビクしながら、ただ時間だけが流れていきました。

結婚、就職、そして長男との出会い

気付けば30歳になり、付き合っていた彼女にも苦労ばかりかけていました。

無職で多重債務者だった私を見捨てず一緒にいてくれた彼女ですが、さすがに限界だったのかもしれません。

結婚して子供が欲しいという夢があった彼女を、ずっと放置してしまっていた私。

とはいえ安定した収入はなく、先が見えない状況。

「大きく現状を変える決断をしなくてはならない・・」

結婚と就職

この2つをする事に決めました。

就職活動をしながら、目を背けていた借金にもきちんと向き合い、焦点の定まった私は、落ち着いた平穏を手に入れる為に行動し、無事、不動産会社への就職と、返済計画の確立ができました。

就職してから半年後には元気な男の子にも恵まれました。

子供になんて全く興味もなかった私でしたが、目元が自分そっくりな息子を見て、自分がしっかりしないと、明日も生きていく事ができない小さなわが子を見て、責任感と愛情が少しずつ湧いてくるのを感じました。

サラリーマンでいる限り、成功も幸せも手に入らない!

そう思って会社を辞めた私でしたが、

サラリーマンになれた事に、確かな感謝の気持ちを感じていました。

この経験を通して、自分がどんな仕事をしているかではなく、

自分がどうしたいか?

自分はどう在りたいのか?

そういった事が重要だという事に気付きました。

なりたい自分や目的が無いままでは、サラリーマンであっても、自営業であっても、社長であっても、収入が多くても、少なくても、結局、軸がブレブレで振り回されるだけ。

そんな人生は、自分の理想の人生ではない。

「じゃあ、どんな生き方をすれば、理想の自分に近づけるのか?」

私が自分の幸せや、自分の生き方に対してきちんと意識したのはこの頃からでした。

サラリーマン生活の再スタートと不動産業界との出会い

サラリーマンとして不動産業界を選んだのはシンプルな理由でした。

①長期的に無くならない業種を選ぶ

衣・食・住というくらい、生きていく上で必須な住まいであれば、仕事がなくなる事はないだろう。

②金融業界での経験を活かせる

30歳は転職でいうと若くありませんでしたので、少しでも関連する業界の方がスタートしやすいだろうと考えた時に、不動産が一番近いなと思いました。

③経済・時間の自由を一代で手にしている人に不動産投資家が多かった

証券会社時代の出会いを振り返って、経済的にも金銭的にも豊かで、幸せな暮らしをしていた人は、不動産投資家が多かったんですね。

それも、

生まれつきの資産家などではなく、サラリーマンをしながらのサラリーマン大家さんを経て、不動産投資家になった人が多かったので、不動産の可能性を感じていました。

また、自分自身、サラリーマン時代に挑戦していた不動産投資だけが、唯一、安定した収入として残っていたという体感もあった為、

不動産に関連する事をもっともっと学びたいという意欲があったのです。

サラリーマン×不動産の可能性を感じるようになる

サラリーマンとしては不動産賃貸から不動産売買と経験をさせてもらってます。

大家さんと会う機会も多くあり、相続をきっかけに賃貸業をしている方もいましたが、サラリーマン大家さんを経て、一代で不動産賃貸業を確立している方も多かったです。

バリバリ働いている感じもなく、かといって貧困に苦しんでいるという事もなく、何となく、自分のイメージしている幸せな状態に近いんじゃないかなと肌で感じていました。

サラリーマンを辞めて起業して成功するんだという事しか考えていなかった私は、サラリーマンをしながら不動産投資家になるという選択肢もあるのかもしれない。

そう考えるようになりました。

安定と共に自分の望む人生を現実化する方法を研究してみた

サラリーマンとして、安定した生活を過ごしながら、自分の人生を振り返り、どうしたら自分の望む人生を得る事ができるのか?

自分自身と向き合う時間が増えていきました。

今は、

「早くサラリーマンを辞めて起業しよう!」

という焦りは無く、自分の目的をしっかり意識し続けながら、一歩ずつ進んでいっています。

さすがに、真冬に冷水でシャワーを浴びるのは嫌なので、サラリーマンとして不動産の勉強をしながら、不動産投資の勉強とブログを始める事に決めました。

自分の学びや体験をきちんと文章にして、ブログで発信する事で、自分自身を成長させると共に、私と同じような悩みや目的を持っている人が、少しでも役に立てるようにやっていきたいと思ってます。

お金持ちにならないとダメ。

社長にならないとダメ。

そういった0か100かの考えにずっと縛られていたんだなと。

手段にばかり目がいってしまい、自分は本当はどうなりたいかという目的をちゃんと考えていなかったんですね。

自分と向き合って、自分の目的を考えれば考えるほど、やっぱりお金や時間といった手段が必要なのは感じています。

手段にとらわれて行動を変えないのではなく、目的達成にこだわって手段を選んでいけるような柔軟性を持って生きていきたいと。

現役サラリーマンとしてお仕事をさせて頂きながら、文章を書くのが好きなのでライターとして日々の学びを発信しつつ、自分にとって理想のライフスタイルを目指していく。

今の自分にはとてもフィットしていますね。

ここまで読んでくれた人へ

こんな長い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。

最後に1つ質問をさせてください。

「どうして、今、この記事を読んで頂いているのでしょうか?」

働き方に悩んでいるから?

お金に不安があるから?

私に興味を持ってくれたから?

きっと何かしらの不安があるのかもしれません。

生きていく為に給料があるのは安心材料だけれども、今後、どうなるかなんて誰にも分かりませんよね。

このブログでは、サラリーマンである私自身の経験を基に、失敗談や体験談、サラリーマンが取り組む不動産投資やサラリーマンとしての働き方についてなど発信していきます。

私の体験が少しでもお役に立てるのであれば幸いです。

最後まで、本当にありがとうございました。

The following two tabs change content below.
アバター

たつや@30代サラリーマンの羅針盤

【経歴】新卒で入社した会社を3年で退職→フリーランス4年で挫折→貯金0円、30代で無職→未経験の不動産業界に転職→2回目の転職で1部上場企業の正社員になる!→ネオモバで1株投資実践中!【ブログテーマ】サラリーマンの資産運用、30代無職からの転職活動、サラリーマンの羅針盤を運営中!